長昌寺紹介
長昌寺紹介
(開創由緒)
永和三年、佐久市安原安養寺中興正眼智鑑禅師大歇勇建和尚の開創と伝わる。その後、250年以上の永きに渡り住持するものがなく堂宇頽廃す。正保元年(1644)に鎌倉建長寺より雲峰和尚が現在の地に再興し、當寺第一世となる。元禄二年(1689)に第三世國全和尚が遷化したのち、再び無住となり荒廃す。この間、佐久安養寺に属し、享保九年(1724)妙心寺派となる。
江戸牛込の済松寺より洪勳成満禅師頑石慧堅和尚が来て當寺第四世伝法開山となって後は寺門も興隆し、現在に至る。
「東西二十五間三尺南北廿三間四尺二寸、面積二反四歩、臨濟宗山城國葛野郡花園村妙心寺末派なり。村の丑寅の方にあり。永和三丁巳年、本村の中央字宇遠坂に創建す。境内奇石あり、四季共に水を出す。恰も暑中に汗の流るゝが如し。依て山號を水石山と云。慶長度焼失の際該石焼石となる。爾来水の出る事なし。元和八年毘沙門天(多聞天なり)の地内へ僧雲峯再建す之を中興開山と云、現今字三角に存在す。」
(歴代)
開山 大歇勇建
一世 雲峰和尚
二世 山堂和尚
三世 國全和尚
四世 頑石慧堅(伝法開山)
五世 直源素範
六世 藍峰楚發(中興:雷電学問の師)
七世 峻峰玄梁
八世 龍山玄珠
九世 琯道玄丈
十世 旭岑文晁
十一世 眞山文詳
十二世 天眼文益
十三世 密山文成
十四世 誠道雲岳
山門
本堂正面の寺号額(山岡鉄舟揮毫)
山門前と本堂裏に広い駐車場