信州上田に臨済禅を受け継ぐ

仏教を学ぶ

仏教を学ぶ

四門出遊という話をご存知でしょうか?

釈尊がまだ出家前の太子だったとき、城外へ遊びに行こうとして東の門を出て、はじめて老人を見ました。美しい容姿の若者としか接したことのなかったシッダッタ王子は、あのような姿にはなりたくないと嫌悪します。さらに、南門では病人を、西門では死人を目撃し、ショックを受けます。そして北門の外で修行者に出会い、その清浄なたたずまいに感激し、自らも修行者となることを決意されたのです。

無慈悲なお釈迦さま
釈尊は、仏教の開祖です。そして、この説話を語り継いで来たのは仏教徒です。それにしては、老人、病人、死人に対し、慈しみのかけらも感じられない態度が語られています。逆に「自分はあのようになりたくない」という身勝手な思いは、苦悩する凡夫そのものです。

しかし、仏教徒は、敢えて若き日の開祖の身勝手さ、すなわち「無明」を描かなければならなかったのです。なぜならば、無明こそが苦悩の原因であるとの気づきから仏教は生まれたからです。

仏教のすごさ
仏教の生まれたインドは、生まれによって階級が決まるカーストという不平等があり、その不平等の原因は前世からのカルマを背負った自我であるとの思想が受け継がれています。

その地で、前世からの因縁を認めず、現世での自らの心に目を向けて、生まれではなく行為によって人の貴賎が決まるとの平等を説いたのが仏教なのです。

仏教を学ぶということは、単に理論や用語を覚えることではありません。実に奥深い真理の教えが込められています。そこに触れた時の感激は言葉にあらわせません。

長昌寺では、そんな本当の仏教を学ぶ勉強会をしていきたいと思います。

(テキスト)
『本当の仏教』鈴木隆泰 著(興山舎)

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